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悪魔のいたずら


先日、「どんな子供だった?」と家人に問われた。 どんな子供だったか? 問われてすぐには思い出せない。 ついである時、実母に電話で問うたりしてみた。 忘れていた事実や感覚が蘇ってきた。 日頃、家人に掛けている言葉の数々が ブーメランのように自分に刺さる音がするようだ。

幼年期は、とにかく触ってみたい子供だった。 どうなっているのか、とにかくなんでも触った。 この先どうなるか、どうなっているかがみたかった。 触って、分解して、機構学的な興味を満たしていた。 しかし……ほとんどが元に戻はらなかったように思う。 非常ボタン(勿論押すとどうなるかの確認)や 消火器(ピンを抜くとどう出るのか)をいじり、 目覚まし時計、ラジオ、トースター、アイロン、 壁紙、カーテン、トイレットペーパーをいじった。 後先考えなかったわけではない。 ないが、「後で戻す」と本気で思っていた。

思い出すのも恐ろしい、悪魔のいたずらである。 しかし母は、叱責する前に理由を聞いてくれた。 当時の母は今の自分より遥かに若かった。 立派である(が、結局……逆鱗に触れるのだが)。 なので、もう少し家人の可愛いらしい「いたずら」を 「大目に見るか」と思もえたきた。 それは「いたずら」ではなく、「学習」であると。

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